脱ゆとり教育
今日の新聞に、再来年度より使用される中学校の教科書に関する記事がありました。
いつも話題になりがちな「社会科」で目立つ項目は・・・
・災害に対する記述。特に三陸の対策についての具体例など。
・原子力発電所についての記述。
・竹島、尖閣諸島についての記述。
そして総じて『脱ゆとり教育』
未だに誤解されたままの「ゆとり教育」ですが、これは批判されるべきは文部科学省でも学校でもなく、家庭教育だと思うのです。
「ゆとり教育」というと、“内容を簡単にして、子供に遊ぶゆとりを与える”ぐらいにしか捉えてはいないでしょうか。
本来の目的は、「脱詰め込み教育」
これまでは、みんなが同じ様な目標に向かい、同じ様な仕事の仕方をする、いわゆる大量生産、組織活動型の人材をそろえることが大切だった。
しかし、一人ひとりが知恵を出し、個性(得意なこと)を活かして新な事業分野を興していかないと、これからの社会は切り拓いてはいけない。
そこで、一律に知識を覚えさせるのではなく、学校では最低限の基礎知識の伝授と、学び方の指導に絞り、土日などを利用して自主的に体験活動や知識・技能の習得をしてもらおう、というものだったのです。
つまり、我が子のことが一番よくわかる親が、親の責任において子供を教育することがねらいだったのです。
仕事の都合などで、必ずしも土日に子供に教育できる家庭ばかりではない。
それはわかります。
しかし、「休日まで子供の面倒みたくないから学校で預かれ。」「何をどうしたらいいかわからない。」などというのは、情けなくはないでしょうか。
そこで“子供の受け皿”なんていう言葉まで生まれ、学校を開放して教員やボランティアによる土曜塾なんてものを開催する必要が生じました。
要するに、親に家庭教育力がなかったのです。
我が子の個性を見極め、育むなんて力がなかったのです。
どうせ「個性」という言葉からは、髪形や服装しかイメージできないでしょう。
蛇足ながら、こういうときに使われる「個性」という言葉の意味は、社会の中で役立てることができる“能力”。平たく言えば“得意なこと”です。
普段偉そうに教育論議をしていても、自分で実践することのできない親が多かったのです。
結局「ゆとり教育」をスケープゴートにして、お上任せの教育に委ねなおすしかなかった国民の学力って・・・。
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