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京都の旅

  • 11 妙満寺 山門
    2009年のお盆休み。京都市の顕本法華宗総本山の「妙満寺」さんと、天橋立を訪ねました。
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新聞輸送列車

昨日のMXニュースで、総武線~外房・内房線の新聞輸送列車廃止について特集していました。
今では輸送の主流はトラック。
一般の電車を物流に使うことは、それ自体が珍しいものになってしまいました。

思えば子供の頃は、それは当たり前の光景だったように思います。
今や家庭で利用するのは『宅配便』。
自宅に届けてくれるサービス。日時指定や再配達もしてくれる。
「そんなの当たり前じゃない」と言われそうですが、昭和40年代ぐらいまでは『小荷物』は最寄駅に届けられ、駅前にある取扱所まで取りに行ったのです。

当時、東武東上線という、池袋から埼玉の寄居まで延びる通勤路線の上福岡駅の近くに住んでいました。(爆問の太田さんの行動半径と一部共通してたようです。)
荷物輸送専用の単行電車もありました。
秩父セメントの貨物列車も頻繁に走りましたし、エアコンなんかない、6両編成が最長で4両編成も走っていた時代です。
 →「Gゲージ鉄道模型・風雅松本亭」さんのサイトで写真を掲載されておられました。

上福岡駅の、今はバスロータリーになっているあたりに「日通」の扱所がありましたが、モノによってだったのか、上福岡の扱所が閉鎖になったのか、そこのところの記憶ははっきりしませんが、電車に乗って川越駅の扱所まで行ったこともあります。

あの頃はプチプチ(エアキャップ)のような緩衝材はなく、新聞紙にくるんだり、籾殻を入れて木箱に詰めるのが一般的。
荷扱いは乱暴で、電車から地面に放り投げたりということも。
瓶詰めなどは大抵割れていました。
今ならクレームの嵐でしょうね。

田舎に行くと、路線バスも物流の担い手。
新聞や雑誌などが朝の路線バスに乗せられ、停留所ではお店のおかみさん達が待っていて、荷物を受け取ります。

朝刊は昼前にやっと届くぐらいだし、不便もあったけど、今よりはるかにエコではありました。
昭和30年代、あの頃に生まれたかったなんて言う若い方もおられますが、たぶん生活できないでしょうね。
至れり尽くせりのサービスなんて望めない。
運転手さんも受付のおじさんも恐かったなぁ。
業者さんの方が威張っていた時代ですからね。

ついでながら、上福岡駅近くの踏切には警手さんがいて、結構遅い時代まで警手小屋が残っていました。
霞ヶ丘団地側の駅前ロータリーには噴水があり、夏には小さい子供が水遊びしたり、おもちゃの船を走らせたりして楽しんだものです。
東武ストアから始まって牛乳屋さんやガス屋さんなどの商店が並び、お蕎麦屋さんや甘味処もあったな。東武ストアと反対側の端はタクシー会社だったと思います。
道をはさんで保育園。
今はすっかり様変わりしてしまいました。

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