プーになった現実
定年退職してから早3ヶ月。
退職時に、3月までの住民税や健康保険料はまとめて天引き。
健康保険は今月早々に来年度分の納付書が来たので振込。
わずかでも割引がある「年払い」にしたので、分かってはいましたが、現実に支払いが来ると大きな出費です。
定年と言っても、年金支給はまだだし、今や65才までの延長は当たり前。
延長とは言え、ほとんどの企業が雇用形態も変わって、大幅減収。
私の勤めていた会社も、定年後は「嘱託」となり、職位はなくなります。
ですが、ほとんどの社員が業務内容は変わらず、例えば部長職だった人は嘱託で仕事内容は変わらず。実質的には部長と変わらない業務量を続けます。
でもあくまでも嘱託なので、収入はおよそ3分の1に激減。
生活の為に続ける人が多いのですが、異口同音に「バカバカしい」。
それでも、かつての部下が上司となって、その指示に従いながら下働きさせられるのに比べたら、少なくとも気持ちの面では良いのかもしれません。
さて、我が身は?
再雇用を願い出れば、認めてもらえたのではないかとも思います。
ですが、病気になってからは“お荷物”だったのは明らか。
黙って座っていれば、あるいは突っ立っていれば、特に何の問題もない健常者に見えるでしょう。
しかし、現実には何も任せられない。
半身麻痺のため、デスクワークでもイスに座っているのがつらい。
上半身をまっすぐにしているだけが、大変なんです。
頭を支えるために、上半身を支えるために、左半身の首や背中の筋肉は緊張しっぱなし。
右半身の筋肉は、強い突っ張り感や痺れに苛まれてる。
家でなら、時々ソファーにふんぞり返ってもたれかかり、カラダを休ませることができますが、会社の事務イスでは無理。
多くの文書はPC入力。
マウス操作は右手では困難。
まず、動かすのがぎこちなく、目的の位置にカーソルを持って行くのが一苦労。
やっと持って行けても、問題はクリック。
ボタンを押してるつもりでも、実際には押せていない。
おまけにボタンを押そうとすると、マウスが動いてしまう。
キーボード操作では、右手では非常に遅いし不正確。
いきおい、左手のみの片手入力。
たまに右手でshiftキーやctrlキーは押しますが。
その左手、片手でキーボード全面を忙しく移動。
生活全般で酷使している、利き手ではない左手。
腱鞘炎状態で痛みも走る左手を、だましだまし使っています。
加えて、軽いとはいえ「高次脳機能障害」。
キーボードの打ち間違えが多いのは、利き手でない左手だからということもあると思います。
ミスタッチも同様かと。
でも我ながら見過ごせないのが、母音と子音を逆に打っている事。
例えば、「たとえば」は「tatoeba」と入力しますが、これを「atoteba」のように打っているのです。
それも結構な頻度で。
もちろん、自分ではちゃんと打ってるつもりなんですよ!
後遺症によく見られる「言語の取り違え」、会話では相手の反応から見た限り大丈夫そうです。
しかしこんなところで、しかもローマ字変換に現れるとは。
なので、ひとつの文節を打ちなおすのは頻繁で、5回ぐらい同じ誤りを繰り返すこともしょっちゅうです。
医師やリハビリの先生に聞いても、「ウ~ン」という感じ。
高齢者に多い病気ということもあって、こんな事例は上がってきてないのかもしれません。
易疲労性も大変です。
傍から見れば、気合が足りないとか言われそうですが。
筋肉同様、脳も“緩める”ことが難しい。
人は使っていない脳の部分は休ませますが、脳に障碍があると、それができにくい。
常に全部位がフル回転。
クルマで例えるなら、信号待ちで止まっている間も、フルアクセルでエンジンをふかせているような感じ。
そりゃ、脳も疲れますよね。
脳が疲れたら、どうなります?
眠くなります。
フルスロットル状態なのですから、眠気も激しい。
2時間も仕事をしていたら、強烈な睡魔に襲われます。
家でなら、すぐに10分寝るだけでも復活できるのですが。
カラダの緊張。
トイレに立ったついでに、会社の廊下で壁を利用してストレッチ。
睡魔の襲来は、用がないのに社内を歩き回って誤魔化す。
更に加えて、消化器障害。
胃癌で胃を切除。
問題はランチタイム。
利き手麻痺で、箸を使うのも困難。
健常者のような時間で、一食食べるのは困難。
食べた直後に引き攣る消化管を休ませるため、背もたれを寝かせたソファーで休みたい。
と言って、横になってしまったら逆流しちゃう。
そんな場所が、会社にあるか?
有り得ません。
仕方がないので、クッキー数枚とかで誤魔化す。
ゼリー状の健康食品?
そんなものを流し込めるなら、苦労はしません。
いきおい、昼食抜きは常態化。
職場復帰当初は頑張ってみましたが、体重は減少の一途。
目眩が起こることも頻繁になってしまいました。
言語障害。
面と向かっての日常会話は、聞き直されることもありながら、まぁまぁ保てています。
話しのテーマが分かっていて、表情などの視覚情報があって、互いの人となりも分かっているから、ある程度の予想もできる。
それでも聞き直されることが多い。
電話の様に、声だけのやり取りでは聞き直しの頻度は大幅アップ。
相手の問いに答えるような場面では、軽い緊張が大きな痙縮につながって、急にろれつが回らなくなることもしばしば。
というわけで、電話応対も困難。
ひとつひとつは軽度かもしれません。
でもフルタイムで働くのは非常に困難だし、マジで衰弱しちゃいます。
一般的なパートタイムジョブでも難しい。
片麻痺と言うのは、重い荷物を運ぶことは出来ず、薄い紙をめくったり揃えたりして書類を整えるという簡単な作業さえ困難。
軽作業、補助作業も満足にできない。
と言って、障害者年金の対象でもなく、公的補助もありません。
前職の会社は、こんな私でも解雇せずにいてくれました。
しかも半日勤務、週休3日、完全デスクワークという条件を認めてくれて、定年まで置いてくれました。
職場復帰のときには、社屋出入口に新たに手すりを設置してくれたり。
なかなかこんな会社はないでしょう。
大感謝です!
しかしこんな状態で、再就職ができるでしょうか?
おそらく望めば、前職の雇用延長も受け入れてもらえたと思います。
でも業績も苦しい中、社員の皆さんに養ってもらっているような状態に、もうこれ以上甘えるのは、自分自身が納得できませんでした。
私が経営者なら、こんな人を賃金を払って雇うメリットを見出せません。
表向きは「もう遊んで暮らすさ!」と、気楽な老後を気取っています。
しかし心配してくださる方も多い。
「何か出来る仕事はあるのでは?」
「心当たりをあたってみましょうか?」
「まだ若いんだし、社会に貢献したら?」
「張り合いを持たなくちゃ!」
ありがたいですけどね。
出来ればやりますよ! www
元気なときは描いていました、定年後のこんな姿を。
例えば幼稚園バスの運転手。
昼間は日曜大工の腕を生かして、園舎の修繕や遊具を作ったり。
PCも得意ですから、園のホームページを更新したり。
あるいはバス会社に契約社員か嘱託で入り、スクールバス担当運転手。
毎朝毎夕、児童生徒を出迎え、送る。
時々おしゃべりしたり、試験期間なら多少は教えてあげられる。
特別支援学校の送迎もいいな。
そういう運行を専門に請け負っている会社がある。
要運転経験という会社もあるから、少し早めに退職して、50代でも雇ってくれる路線バス会社(←ほとんどのバス会社がOK。未経験でも可が多い)に転職して運転経験を積んでとか。
福祉タクシーもいいかもなんて。
最近は公立学校でも、様々な支援員を募集しています。
そのひとつが、ICT教育支援。
近隣の小中学校で、先生がICTを使って授業するのを補佐したり。
児童生徒のICT利用学習を補助したり。
その分野の職務経験もあるので、得意中の得意分野。
そう思って、関連企業の調査研究もしました。
資格も取りました。
大型二種運転免許。
サービス介助士。
危険物乙四も取ったし、中高教員免許は持ってるし、ICTE(教育情報化コーディネーター)も取ったし。
自治体の教育ボランティアにも登録していました。(←要請は来なかったけどw)
ついでにけん引二種免許とかフォークリフトとかも。w
次は電気工事士をと、テキスト買ったり、実技試験用の工具を買ったりもしていました。
漠然と「定年後は何かやりたいな」というのではなく、具体的に準備を進めていたのです。
駄菓子菓子。 もといw
だがしかし、すべては御破算。
癌から8年。
脳梗塞から6年。
当初は、もう歩くのは無理かもしれない。
利き手の右手も、腕全体の上げ下げはできても、指先の動きは無理だろう。
重い言語障害も予想される。
そんな風に診断されていました。
人生設計が狂ったあの日から、“何もできない老後”を予想して、もらった生命保険金はすべて住宅ローンの繰り上げ返済に。
ボーナスも全額繰上返済に充て、生活費も切り詰めて、32年ローンを一気に13年に短縮。
定年前に完済することができました。
そのままローン相当額を貯金。
短い期間だから大した貯金にはならなかったけど、年金が出るまでのつなぎにはなるようにと。
ある意味「個人年金」。
(確定拠出年金とか、制度できるの遅いよ!)
生命保険も、「払込は60才まで、保障は終身」というタイプにしておきました。
60才からの支出はなるべく減らせるように。
働きたくても、カラダが言うことを聞けない状態である以上、自分で自分の面倒を見ていかなければ。
現役時代の自分が、今の自分を支えているという構図。
セルフ介護&扶養は、5年間。
その後は、年金だけじゃ足りないと言われるけど、足りるようにしていくしかない。
あまり先の事を考えても仕方がないことは学習済み。
昨日今日の延長線上の明日は、当たり前にはやって来ない。
だから私は今日も明日も、呑気なプータローを演じていきます。
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